ハワイで泣いた話(と、ハワイで考えたこと諸々)

ブログを通じて親しくなったお姉さんに誘ってもらい、12/20-26までハワイ(オアフ島)旅行へ。
自分で決めるとなると中々候補地には挙がらない場所だけれど、お姉さんに会いたかった事と、今年のテーマが「色々考える前にまずやってみる」であることもあって、二つ返事で決めました。

12/20-23の夕方までを一人で過ごし、その後現地時間25日のお昼までをお姉さんと。
一人で過ごした3日間は、情緒不安定でメソメソ泣いたり、絶望に浸ったりしていました。
ちょうど生理が来たことと時差ボケと、そしてもともとの自律神経系の失調とであまり記憶がない…。

あ、でもアヒポキ(ぽけ?)丼を食べ、エッグスンシングスにも行き、波打ち際で遊び(※当然ですが一人で)、浜辺で読書したりしてました。(本のタイトルは、「成功するキャリアデザイン」)
あとはアラモアナショッピングセンターとウォルマートをうろうろ。真言宗のお寺にも参拝しました。DEAN&DELUCAにも行ったな…こうやって振り返るとなかなかに充実しているではないか。
あ、虹も見ました!ラッキー!


そしてお姉さんと合流。
適度に一緒に行動し、適度に個別行動。そのつかず離れずの距離感がとても心地よくて、過ごしやすかったです。

24日の朝には一緒に海ヨガへ出掛け(係員さんが見つけられずに結局ヨガならず。しかし熱帯魚を見て大変癒やされる。)、
夜にはCheesecakeFactoryにてディナーをご一緒しました。
そこで交わした会話に、私の今の状況に光明を差すとても嬉しい言葉があり…泣きました。感極まって。
タイトルにあるのはこのことです。

誰かに認めてもらうことで自分を評価するのはよくないことかもしれないけど、でも私は嬉しかったのです。
私が憧れ、慕うお姉さんが、私の選択を認め、祝福してくれたことが。
認める、という言葉で表現するのは最適でないのだけれど、心に響く言葉をかけてもらって とても嬉しかったんです。
バンコクで頑張ろう、ってこれ程素直に思ったのは初めてかもしれません。


ご飯のあとはモアナ・サーフライダーホテルのバーで飲み直し(と言ってもレモネード)、またつらつらとお喋りをして。ご馳走になりました。ありがとうございました。

振り返って、とても印象深い夜でした。
多分、この夜のことは、この先もずっと思い出すんだろうと思います。
具体的な話の内容は、心に仕舞っておきます。


以下、他にもお姉さんと喋っていたことと自分の見解とを、覚え書き

顔の黄金比率を理想のバランスに整えても、印象に残らない美人になるだけ。例えば複数人の顔写真を重ねて出来る顔が可もなく不可もない美人顔であることからも解るように。
この美人、誰かの嗜好性にどハマリする可能性で言えば、低くなるんじゃないか。
黄金比より、自分を差別化することこそが生きる上での武器ではないか。(ここでケイト・モスの例え)

「自分だけが持ち得る価値」について考える。
例えば私の価値や能力を3つ挙げて、他人が、私の名前を明かさずともその要素だけをもって私だと分かるか否か。
そのくらいの尖った特徴を持つこと。

私は、幼い頃いじめを受けた記憶から、「他人から非難されるところのない人にならなければ。(さもないと、いじめられる)」
という価値観を獲得し、現在までそれを守り続けているところがあり。そして、自分を減点評価で見ているために「加点対象となる項目を多く持たねば自分を認められない(そのために、なんでも卒なくこなせなければ)」と思っているところがあり。
そして運が良いのか悪いのか、大抵のことは平均以上に出来てしまう生まれつきの容量の良さもあり。

オールマイティに生きることは悪くないけど、自分固有の尖った部分を更に
尖らせていく事のほうが生きやすいのではないか。価値の差別化に成功することで、相対的な価値は上昇するのではないか。
オールマイティにこなせなきゃ、という古い価値判断の根底には、結局「今の自分がどうなりたい」という思いが隠れているんだろうか?
…この問いかけについてはまだ解らず。

「私にはこれ!」と言えるものを得に行くのなら、尖っていく方向に舵を切るしかない。
これ!と言えるものがほしくて、でも何でもオールマイティにやりたくて、社会人になってからはそんな二律背反の欲求の中でぐるぐる苦しんで、転職活動をして。
その経緯を知っているからこそ、お姉さんは私が特定の価値を得る方向に一歩踏み出したことを祝福して下さったんだと思います。
社内での価値の差別化という意味では、マイナー言語をビジネスレベルで使えるようになることはきっと大きな力になるはずで。(これは、前回書いた某知恵袋の回答と同じ結論)


あと、
お姉さんが思うに、
私の、異性に対して、その人の望むような言葉を適切に掛けてあげることのできる能力は、例えば異国の地で営業職をすることになった時にも活きてくるのではないか。強みではないか。と

…ざっとこんな様な感じ。
私とお姉さん以外はこの文章の意味が分からないのではないかと思いますが…。


…「何でも出来る」、への憧れについて書いていて思ったのは、「何でも知っている」への憧れも、私には等しく存在するなぁ、ということ。
知らないを知る、が楽しくて、この一年は色んなところを旅しました。
ただ、世界を知ったからイコール幸せ、ではなくて
例えば地元の同級生は高卒で働いていて、海外はおろか県外にも滅多に出掛けなくて、そんな生活だからイコール不幸せ、ではない。
今までの私は、「知らないことがある」、という不安から、わざわざ幸せな自分を不幸せに仕向けることをしていたかもしれない。けど、人はその人の知っている範囲での幸せを、その人なりに満喫すればそれでいい話ではないか、と。思い至った訳です。

知的好奇心は、満たすほどに私を豊かにするわけではないのだなー、と。妄信的に、知れば知るほど生きやすくなるんだと思ってた。
知的な、足るを知る も大事かも。

その上で、これからは自分の高めていきたい価値、そして自分の幸せ、ここにもっと焦点を当てて貪欲になるべきなんじゃないかと。
他の事は思い切って全部捨てちゃえ!と。大学受験のときに、数学を捨てたように!
(数学への未練は全くないのに、どうして私は他のことになると出来なかった事を悔やんでしまうんだろうな。)

そんなことを考えた帰国便でした。

この旅が、こんなにも私に多くをもたらしてくれる旅になるなんてなー。
両親に愛されてるんだなって素直に思えることも、得難い親友の存在に改めて気付いたのも、そしてそれを教えてくれるお姉さんの存在も、すべてにおいて私って恵まれてるなぁと気付けた旅でした。
私はしあわせだなー。ありがたいなー。なむなむ。