私は私の価値が自分で認められないので、他人を使ってそれを確認しようとする

(タイトル)

…ということにまた気がつく。

二年前に失恋して いやほど知ったはずのことだけど、やはり構造的に解決できたわけではなくて、これからいつ解決するやも知れなくて。途方もないような、虚しい感情。

今週の日曜、ホテルのラウンジでカウンセリング受けた時は上司と切れた爽快感?から調子が良かったのだけれど、そこから今日まで、夜になると気分がずーんと落ちる日が続いていて。

次のカウンセリングを二週間後に予約したのけれど、一週間後にしておけばよかった。躁状態だっただけのよう。

しかしここで安定剤に頼るともうそれに頼りっきりになってしまいそうで、飲まずに持ちこたえてる。エアビーのゲストさんもいるので、気丈に振る舞わなくちゃという思いが強い。

ツイッターにばーっとネガティヴなことを連投してみたり。

何が私の心に引っかかるのかというと、同年代の(すこし下の)世代の女性が、パートナーと幸せそうな毎日を送る様子とか

会社で他の女性がちやほやされている話を聞くとか。

疎外感とか孤独感とか、自分は何をやってきたんだろうとか、どんな価値があるんだろうとか、これからどうなっちゃうんだろう、とか。

 

誰とも一生を約束する関係性を築けていないこと

そうこうするうちに若さが欠けていっていること

誰からも愛されていないこと(血縁でない人からという意味で)

精神的に問題を抱えていること

 

外見をよくしたい、という妄信にも似た感情から、実は今年4回も美容整形手術を受けたことは、今まで書いていませんでしたが

そうです、1月に始まり、二か月おきに。( 整形手術を受けていない月は海外旅行というなかなかのスケジュール。)

これで自信を得て、ついに夏、上司に手を出した訳ですが。

当時は「究極の自己満足」だと思って入れたメスも、結局は誰か から愛されるため、(それも外見的魅力というインスタントな方法で)やったんやなと省みて。

「社会的に価値のある人から愛される、もしくは価値を認めてもらう」ことで承認欲求を満たす構造は少しも変わってないんだって

カウンセラーさんに指摘されて初めて気がついた。

 

弟に、「嫌われる勇気」、もう一度、一度と言わずバンコクにも持って行って何度でも読んでみなよ と言われて。

今日久しぶりに読み直してます。

変わりたい、どういう風に?